手話について

手話は手や指、腕を使う手指動作だけでなく、非手指動作(表情や頭部の動き、口型など)が重要な意味を持ちます。「あいうえお…」の五十音、又は数字やアルファベットをあらわす指文字と手話は区別され、「雪」「美しい」などの名詞、動詞、形容詞を一動作であらわすのが基本です。

手話には大きく分けて、ろう者同士の間で生まれ、広がった日本手話のほか、日本語と手話とをほぼ一対一に対応させた日本語対応手話があります。


・日本の手話
「日本手話」「日本語対応手話」「中間手話」が使われている。

・世界の手話
手話は世界共通ですか?とよく聞かれますが、残念ながら手話は国によって異なります。
フランスにはフランス手話、中国には中国手話があります。
同じ英語を使用していても、アメリカとイギリスでは手話は異なります。
また、中南米の手話はスペインの手話の影響を大きく受けています。
アフリカなど手話が未発達の国々では、アメリカ手話が広く使われています。
手話講習会では、例えば15時なら「午後3時」という言い方に直して表すようにと教わります。
15時という言い方を手話ではしないからです。企業に務める聴覚障がい者からはビジネスシーンでは15時という
言い方をするので、「午後3時」と直さず、「15時」のまま表出してほしいと
要望されることもあります。もちろん、企業で働く全ての聴覚障がい者のニーズ
ではなく、人によってまちまちです。
個人的には時間を直すときに間違えてしまうことのリスクを考えると、15時のまま表出するほうがいいですね。
一般的に英語の通訳で、ドルでの発言はドルのまま通訳するのか、日本円に換算て訳すのか興味深いところです。
地域の手話講習会や、有料の手話教室などではビジネスシーンを想定した手話
学習などはありません。でも、英会話教室にビジネス英語のクラスがあるように、
近い将来、手話教室でもビジネス手話のクラスが誕生するかもしれません。

・アメリカインディアン特にシャイアン族アメリカインディアンは部族によって言語が違っていたため手話による他部族とのコミュニケーションが行われていた。洗練された手話を持っていてそのほ殆どは、右手だけを使う手話だったようである。

・韓国 台湾 日本語手話は、単語において約60%(諸説あり)くらい共通していると言われている。 韓国併合、日本統治(台湾)時代の影響であると考えられる。

・東京ディズニーシーショーの中にパフォーマンスの形で手話を取り入れることがありミッキーマウスやディズニーの仲間たちが歌詞に合わせれ手話を披露する事がある。知っていましたか!?


江戸川手話通訳者協会 メルマガより

質問1:
手話を簡単に覚える方法を教えてください。

簡単に覚える方法!
そんなのがあったら知りたいです(笑)。
「学ぶ」という言葉の由来は「真似ぶ」だそうです。
ですから、講師の手話をよく見て、ひたすら真似をするようにしましょう。
質問2:
男性が使う手話と、女性が使う手話があると聞きましたが、本当?

はい。本当です。
ボクが手話を始めたばかりのころ、ろう者から「あなた、女っぽい手話してるね」
と言われたことがあります(笑)。
昔ほどではないと言われますが、「おいしい」「お風呂」の手話は今でも男女差が
あります。

質問3:
子どもと一緒に手話を覚えたいと思いますが、子どもには難しいでしょうか?
そんなことはありません。むしろ、子どものほうが覚えるのは早いです。
ただ、大人でも子どもでも、つまらない、難しいと思わせるような学習環境だと
覚えられません。面白い!覚えられそう!と思わせる学習環境だとどんどん身に
つきますよ。

質問4:
私は時々手話表現を間違えてしまうのですが、ろう者には通じます。不思議です。
外国人タレントが話す日本語が多少間違っていても何が言いたいか大体分かり
ますよね。それと同じです。外国人タレントの日本語はちょっと間違っている
くらいのほうが愛嬌がありますよね。聞こえる私たちの手話がちょっとくらい
間違っていても、ろう者はいちいち間違いを指摘せず、微笑ましく見てくれて
いるんだと思います。

江戸川手話通訳者協会 メルマガより
デフ・ムービーって・・

カナダのトロントで初めて開かれた「国際ろう映画&芸術祭(Toronto International Deaf Film and Arts Festival /TIDEAF)」で、日本の映画が長編映画部門で最優秀賞のグランプリを受賞したのだそうです。
題名は「迂路(うろ)」、主演はNHK手話ニュースのキャスターとしておなじみ、今年の「耳の日大会」長崎大会にもゲストとして来られた那須英彰(なすひであき)さん、監督が大館信弘(おおだてのぶひろ)氏、そのほか出演者もスタッフもほとんど聴覚障害者です。これまでもろうあ者による映画というのはいくつかありました。以前長崎でも上映された、「小さな下町」という、会話がすべて手話という映画の上映がありましたが、手話の分かるろうあ者はそのまま楽しめて、手話の分からない人は字幕を読むという、普段とは立場が逆転する映画でした。この「迂路」の監督の大館氏は1歳で聴力を失いましたが、小さい頃から映画を見るのが好きで、セリフは聴こえなくても、話し手の表情や筋の流れなどから何といっているのかあれこれ空想しながら楽しんでいたそうです。「聴覚障害は不便だけど不幸じゃない」と言い、障害を乗り越えて強く生きるといったドラマには少し違和感を感じているようです。この映画も手話で表現されてはいるものの、セリフでの表現をできるだけ減らし、俳優の表情や微妙な「間」など、言葉以外の表現を大切にしたものですから、手話を知らない聴こえる人にもじゅうぶん楽しめる内容になっているようです。
聴覚障害者と運転免許
健常者なら運転免許を取得することは比較的簡単で、かなり運動神経が鈍いとか、引っ掛け問題に弱いとしても、多少講習の費用がかさむくらいで、誰でも取得できるものです。しかしこれが聴覚障害者となるとかなりタイヘンなことをご存知ですか?
この聴覚障害者の運転免許については、以前は道路交通法で「耳が聞こえない者には免許を与えない」 などと規定されていたのです。それがろうあ福祉協会を中心とした働きかけにより、障害を理由に資格の取得などを制限する「欠格条項」の見直しが進み、 2001年の道交法改正でこの条項は廃止され、身体的能力などは運転免許試験で確認することとされました。 しかし、同法施行規則23条の、10メートルの距離で90デシベルの音(乗用車のクラクションの音程度)が聞き取れることを 運転免許試験の合格基準とした条件がそのまま残っているため、まだまだろうあ者にとって運転免許取得はハードルが高いものなのです。
しかし、ここへきてまた少しの前進があったようです。実はアメリカなど先進国ではまったくこのような条件は問われず、ただ運転する車に「ワイドミラー」と呼ばれる、通常のものよりずっと視野が広くなったバックミラーを取り付けさえすればいいのだそうですが、この制度を日本でも導入しようということになりそうです。それに伴って聴覚障害者が運転していることを示すステッカーのようなものも考案中だそうです。実際の規則改正は再来年あたりということですが、これで聴覚障害者の行動範囲もぐっと広がることになりそうです。
ただ、車の運転が危険なのは健常者も同じです。お互いに事故には十分気をつけましょうね

・聴導犬って・・

目の不自由な人を手助けする盲導犬はだいぶ社会的に認知されるようになりましたが、耳の不自由な人を介助す「聴導犬」のほうは、まだまだ認知度も低く、町で見かけることもほとんどありません。
それもそのはず、日本全国で現役の聴導犬は約10頭にしか過ぎませんし、九州には残念ながら一頭もいません。
初めて聴導犬が誕生したのはアメリカです。
元々ペットとして飼われていた犬を耳の不自由な飼い主の息子のために訓練したのが始まりで、アシスタントドッグとして認知され始め、現在では6000頭もの聴導犬が活躍しています。
聴導犬は、いわゆる「捨て犬」の中から適した犬を選び、訓練育成していくのですが、盲導犬と違って、体を張ってユーザーを守るというよりも、音を確実に知らせる事が任務なので、小型犬が適しています。
仕事としてはさまざまな音を聞き分け、その中からユーザーに必要な情報を教えますが、通常の音、例えば玄関のチャイムとかFAXの音などは音のなっている場所まで導きます。しかし火災報知器の音など、危険を知らせる必要がある場合、音の場所を知らせるより先にまず逃げることを促します。
また、聴こえない人はほとんど声も出しませんので、犬とのコミュニケーションは?・・と気になりますが、訓練された犬はよく人の気持ちが分かりるものですし、ユーザーの手話も簡単なものなら読み取ることも出来ます。
年に500頭ほどの子犬が候補の犬として里親の下などで育成され、訓練施設で聴導犬としての訓練を受けるのですが、障害がなく健康で、知能が優れていて人になつくといった条件を満たし、なおかつ認定試験に合格する必要があります。
聴こえない人のための耳に代わる道具もたくさんありますが、何といっても犬は人を和ませる才能があり、聞こえないという不自由さを補いながら日々の暮らしを生き生きとさせ、無償の愛を持って接してくれる、素晴らしいパートナーです。
平成15年10月に身体障害者補助犬法というのが施行され、盲導犬のほかに介助犬、聴導犬も補助犬として認知されるようになりました。
現在、日本では16の聴導犬育成施設があり、九州では鹿児島と長崎県大村市の2箇所です。
詳しくは大村市にあるNPO法人聴導犬育成協会のホームページをご覧ください。

・聾という言葉
学校教育法の改正により全国でこの頃、聾学校という名称を「聴覚特別支援学校」という妙なものに変更する動きがあり、それに対してあちこちのろうあ者たちの中から反対の声が上がっているそうです。
そもそも何故変更しようとしているのでしょうか?一般に「聾」という字には差別的なニュアンスがあり、「聴覚障害」と言い換えが進んでいるというのがその主な理由のようですが、はたして本当に「聾」は差別的な用語なのでしょうか?
NHK手話ニュースのキャスターとしてお馴染みの那須英彰氏が何年か前の講演の中で、「聾(ろう)」という漢字がなぜ「耳が聞こえない」という意味を持つのかについて話されました。それによりますと、この漢字の上のほうは、想像上の生き物である「龍」、そしてその下に「耳」と書きます。(これでこの漢字が覚えられますね!)
むろん龍というのは想像上の生き物ですから写真で確かめることは出来ませんが、古い絵ややきものに描かれている龍をよく観察してみると、少し先が尖った耳が頭の両脇についていることが確認できると思います。しかし実はこの耳には聴く機能がないのだそうです。
ではどうやって龍は音を聴いているのか・・・。
それが、歴史的生き物(?)のわりにはかなり先進技術で、頭についている鹿のような「角」が音をアンテナのように感知しているのだそうです。そしてそういうことから耳の機能を使わずにコミュニケーションをするろうあ者のシンボルとしてこの龍がよく使われているというわけなのです。したがってこの「聾」の漢字の意味をよく理解していさえすれば、先の「差別的なニュアンス」という発想は出てこないはずなのです。ちなみに全日本ろうあ連盟のシンボルマークもこの龍にちなんだタツノオトシゴになっていて、このことからもろうあ者と龍との密接な関係についてはお分かりいただけることと思います。
ついでですから龍のほかの部分も検証してみましょう。
長い体には鯉のそれに似た鱗がたくさんついているようですが言い伝えによると81枚あるそうで、このうちあごの下についている一枚がいわゆる「逆鱗(げきりん)」で、他の鱗とは逆についており、これに触れるとえらいことですよ。手足は鷹に似ていますが、指の数は中国では5本、韓国で4本、そして日本で描かれたものは3本となっているのは、だんだん省略されてきたのでしょうか。掌は虎を模しているそうで、頭は駱駝で目はウサギと、あらゆる動物の寄せ集めのような生き物です。
そして春分の日には天に登り、秋分の日には淵に潜むとのこと。
中国では吉兆のシンボルとしてとても大切にされていますし、長崎ではおくんちの龍踊り(じゃおどり)が有名ですね。


・ろうあ者運転マーク
平成20年6月に道路交通法の中の欠格条項が廃止され、運転免許が重度の聴覚障害者にも取得できることになったことをうけて、警察庁は4月3日、重度の聴覚障害者が運転する車に表示を義務付けるマークの案を公表したとのことです。
実際に運転免許を取得したのちには、他のドライバーの注意を喚起するために、運転する車の車体前後
2箇所に運転者が聴覚に障害を持っていることを表すマークを取り付けることが決められました。
聴覚の「チョウ」という読みからイメージされたという黄色い蝶が、直径約12センチの緑色の円の中に
表された、かわいらしいデザインです。マークは他の初心者マークや高齢者マーク同様、周りのドライバーの配慮を促すもので、このマークを付けた車への幅寄せや割り込みといった行為をすれば罰せられます。
全日本ろうあ連盟はじめ関係団体などの長年にわたる地道なろうあ運動の結果と思えば、感無量です。とくに地方に住む聴覚障害者にとって運転ができるとできないでは行動範囲に大きな違いが生じるもで、今回の改正は大変な朗報ではありますが、障害のあるなしに関わらず車の運転には危険が付きまとうものですから、あらためて気を引き締めて運転したいものです。
それにしてもこの蝶のマークがついた車と遭遇できる日が待ち遠しいですね。
あ、でも遭遇したからといって、思わずハンドルから手を離して手話でご挨拶・・
なんて危ないですから、くれぐれも気をつけましょうね!

・未来創造堂より
『手話の未来を切り拓いた男 高階潔』
手の動きや顔の表情などで思いを伝える言語『手話』。
ところが、「アラフォー」や「オバマ」といった新しいい流行語や外来語、人の名前など、一文字一文字を表さなければならない場合は、手話で表現出来ないと言う問題があった。
この問題を解決したのは、手話に人生を捧げた一人の教師の情熱、「奇跡の人」、ヘレン・ケラーの存在があったのだ。
というわけで、手話の未来を切り開いた男の物語
大正3年、大阪。主人公高橋潔は、新米教師として、現在の大阪市立ろう学校に着任した。
耳の聞こえる高橋にとって、音のない世界に生きる子供達と触れ合うことは、強烈な体験だった。
高橋の目の前には、自分お感情をうまく伝えられず、その苛立ちで暴れてしまう子供たちの姿…。
高橋は、痛感する。
言葉とは、なんと大切なモノなのか…。そう強く感じた高橋は、子供達と共に、手話を一から学び始めた。
そもそも手話とは、各国、各文化の時代背景の下に、自然発生的に生まれた言語で、万国共通のものではなかった。明治11年に京都に設立された最初のろう学校によって、それまで、国内でさえ地域によるばらつきがあった手話は整備され、現在の日本の手話の原型が誕生したと考えられるが、高橋が教師となった頃は、読み書きも手話も知らずに育った子供が少なくなかった。そんな子供達も、徐々に手話を通じて、ものの名前を表現する方法を知るようになる。頭の上に大きく広がっている様子で『空』、
つぼみが開く様に両手を広げて表現する『花』。こうして皆、仲間達と気持ちを通じ合えるようになっていった。彼らは目を見て、手話を覚えるのだった。
「手話は、空間の絵であり、芸術である」
高橋は、手話表現をもっともっと自由で豊かなものにしたいと考えた。だが、そこには大きな壁があった。例えば、当時、世の中の話題となっていた、ドイツの飛行船「ツェッぺリン号」この言葉を手話でどう表現するかを知りたがる子供たちの質問に、高橋は頭を抱えた。新しい外来語や人の名前は、手話では、表現することがむつかしい。折角、手話によるコミュニケーションを身につけたのに、このままでは、限界がある。何か、新しい方法はないものか…。高橋の模索の日々始まった。
昭和4年。既に校長となっていた高橋は、教員の一人、大曽根源助をろう教育の先進国、アメリカに派遣。
幸福なことに、あのヘレン・ケラーと面会することが出来た!盲目で耳も不自由だったヘレン・ケラー
が、そのハンデを克服した物語は、「奇跡の人」として広く知られていた。彼女と向き合った大曽根は、アルファベット26文字を指で表現する「指文字」を知る。
ヘレン・ケラーは、この文字によって、単語や文章を覚えたのだった。
帰国した大曽根の報告を聞いた高橋は、指文字を作れば手話で表現できない外来語や人名も、一文字づつ、日本語で表されると膝を打った!
かって日本にも指文字は、存在したが「あ」はア行の1、「い」はア行の2という、機械的な表現は根付かなかったのだ。文字は単なる記号ではない。高橋は考えた。子供達に親しみやすくなければ根付かない…。もっと楽しくて、使いやすい指文字を作ろう!高橋は奮起した。
まず高橋は、アルファベットの指文字から見た目にも対応する文字をそのまま採用した。次に、文字の形を真似る新しい指文字を考案。だがそれでも片手ではどうにもこうにも表現しきれない文字がいくつも残ってしまった。思い悩む高橋はある日、電報を電話局に頼んでいた時に、ふと気づいた。間違えないよう「あ」は朝日の「あ」、「い」はいろはの「い」…。そうか!指で形を真似ることが難しい文字は、その文字で始まるモノの形を真似ればいいじゃないか?!「き」はキツネの「き」、「め」は目玉の「め」、「ほ」は、船の帆の形といったように、高橋は次々と当てはめていった。
こうして、覚え易く親しみ易くなった指文字が完成!手話では表せなかった固有名詞が自由に表現できるようになったのだ!この指文字は大阪市ろう学校式(大曽根式)と名付けられ、全国に広がって行ったんだ。
今やテレビのニュースでもお馴染みとなっている指文字。最近では指文字の「ぱ」とキーボードを打つ仕草で「パソコン」といったように、指文字と手話を組み合わせた新しい表現も生まれ、指文字は手話の表現の世界をより一層豊かなものにしているのだ。

手話を愛した高橋の信念 「手話は、空間の絵であり芸術である」


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